いろいろ。思ったこととか、書きたいこととか。

機会費用(プラダを着た悪魔の感想)

経済学上に機会費用という考え方がある。僕が高校を卒業するとき、担任(倫理政治経済の担当)が僕たちに送った言葉の一つですね。なぜこれをチョイスしたのかは謎だし、話もよく覚えていないのですが、この考え方は僕の中に残ったのです。

僕は趣味で手品をやっているし、中高の部活でやっていた囲碁も有段者になるくらいにはやりました。勉強もまあ人並み以上にはやったきがします。つまり僕は時間をこのように使ったわけですね。

変な書き出しから始まったがこれは映画、”プラダを着た悪魔”のレビューのつもりなんですよね。

僕の推しているボカロPであるTOKOTOKO(西沢さんP)が今年”ランウェイのファンタジスタ”という曲を出しました。この曲は"クライベイビー ハズ ポップコーン"というアルバムに収録されているのですが、このアルバム、作曲家一人ひとり映画を選んでそこから曲をつくり、それを集めたものだそう。そして、このランウェイのファンタジスタプラダを着た悪魔がテーマ?になっているらしい。この曲が個人的に最高にはまったのでいつか映画も見てみたいと頭の片隅で思いつつ生きていたのですが、この無駄に長く時間を持て余している夏休みにそのことを思い出しつい最近視聴したので感想。

プラダを着た悪魔の感想

とっても有名な映画なのであらすじは割愛。見てない人がいたらぜひ見てほしい。面白かった、おすすめ。

”仕事と私、どっちが大事なの”

これがこの映画のテーマだと僕は思う。結局映画の最後で主人公は”私”を選び、編集長ミランダは”仕事”を選んだのだが、ここで大事なのはどちらを選んだのかということではない。

この二つに上下はないのだ。映画の中の最後のシーンを見てもわかるが、どちらかがどちらかに勝っているというような描かれ方はしておらず。お互いの中にある種の敬意のようなものも感じられる。ここで大事なのは”どちらか一方を選んだ”ということだと思うんですよね。

結局、時間は有限であり、自分は一人しかいない以上、必ず取捨選択というものを行わなくてはいけない。それにより失うものもあるだろうが機会費用である。しょうがない。

良くないのは”選ぶ”ことをせず双方を中途半端にして双方を失うこともそうだが、自分にとってどちらが大事なのかを考えることなく周りに流され片方を選択してしまうことである。

主人公の中盤を見てわかると思うのですが、あの段階で彼女は仕事と彼を天秤にかけるということをせずに仕事を取っているのだ。そして結果として彼を失いかける。これが一番よくない状態であろう。

映画の中ほど二つを極端に天秤にかけることは僕たちの人生の中ではあまりないだろうが、程度の差はあれ天秤は心に持っている必要があるのだろう。自分にとって本当に大事なものは何かを定め、それをとれるような選択をし、時にはほかのものを切り捨てる。そのようなスタンスで生きていきたいなぁ。